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東京高等裁判所 昭和30年(ネ)2448号 判決 1957年4月26日

控訴人 重政誠之

被控訴人 国

訴訟代理人 関根達夫 外一名

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、金八十万四千九百十三円及びこれに対する昭和三十二年三月二日から支払済まで年五分の金額を支払わなければならない。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

本判決は仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め被控訴代理人は主文第一ないし第三項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の陳述した主張の要旨は、左記の外は、原判決の事実摘示と同一であるから、ここに引用する。

被控訴人は左記のように述べた。控訴人に対し、本件株券を没収する旨の刑事判決は、「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」第四条によつてなされたものであるが、その没収の法律的性質は刑法第一九条による没収と異るところがない。上記法律第四条の法意は、収賄者をしてその不法に受けた利益を保有させないために、その収受した賄賂を没収することにあるのであるから、本件没収の言渡が、物それ自体としてはなんの価値もない一片の紙片である株券を対象としてなされたものでないのはもちろんで、没収の対象となつたいわゆる株券というのは、控訴人が収受した賄賂である利益配当請求権、残余財産分配請求権、及び場合によつては与えられる新株引受権等をも包含する株主権を意味することはもちろんである。株主権というものは有体物ではないが、それについて株券が発行されると、株主権は株券に化体されて取引の対象となり、物理的にも管理可能であるから、株主権を表彰する有価証券である株券として刑法上没収の客体となるものである。従つて株券を没収するということは、これに化体されている株主権を没収したものである。没収刑は、常に特定物を目的とし、これを原始的に国に帰属させる意思表示であるから、一般的にはその判決が確定すると共に効力が生じ、没収の目的である株券が押収されているときには、右判決が確定すると同時に没収の効力が生ずるのである。

よつて、被控訴人は右判決の確定した昭和二十九年六月十三日以降は、被控訴人のみが本件没収株式の唯一の権利者であつて、控訴人はなんの権利をも有しないのである。従つて、配当の法律上の性質がどんなものであつても、控訴人が受領した昭和二十九年下期の配当金合計金四万六千百十三円(いずれも源泉徴収額一割五分を引いたもの)、及び控訴人が無償交付を受けた日清紡績株式会社新株式二千八百株は、ともに被控訴人の損失で控訴人が不当に利得したものであるといわなければならない。それなのに、控訴人は昭和三十年春頃新株式二千八百株を他に売却したので、その売却代金と被控訴人の損害との間には、右新株式に代つて、不当利得の関係が成立している。控訴人が売却したと主張する金額は争う。その売却した日時は不明であるが、東京証券取引所の相場で処分されたと認めるを相当とするところ、右新株式の市場価格は、昭和三十年三月では高値二百七十三円、安値二百五十七円、平均値二百六十三円三十四銭、同年四月では高値二百九十円、安値二百六十六円、平均値二百七十九円七十八銭であつて、この両月での平均値の平均は二百七十一円五十六銭になる。よつて、控訴人が右新株式二千八百株を処分したのは一株右金二百七十一円五十六銭であつたと認めるを相当とするから、右総計金七十六万三百六十八円のうち金七十五万八千八百円を控訴人は被控訴人に支払わなければならない。よつて、被控訴人は控訴人に対し右金額と上記配当金の合計金八万六千四百八十一円の内金八十万四千九百十三円、及びこれに対する本件訴状送達の後で、右金七十五万八千八百円の請求をなした本件口頭弁論期日の翌日である昭和三十二年三月二日から支払済まで年五分の損害金の支払を求める。

なお、控訴人の主張に対し、左記のように述べた。控訴人は刑事訴訟法第四九一条を根拠として没収の効力が生ずるのは、判決の確定ではなく、その執行のときであると主張するが、右規定は没収の目的物が押収されていない場合に、相続人に対して新な債務名義を得て執行しなければならないときに、その執行手続の簡略化を図るために設けられた規定であるから、右規定が存するの故で、没収の効力が執行をまつて生ずると解する控訴人の主張は理由がない。なお、被控訴人が、控訴人主張のように、本件株式について刑事判決の確定後、昭和二十九年十二月七日まで、の間なんの処置をとらなかつたことは認める。控訴人主張のような株式譲渡の場合の配当金及び新株式の分配に関する商慣習の存在は否認する。かりに、そのような商慣習が存在するとしても、本件のように、株式が没収された場合、または新株式が無償交付された場合には適用がない。

控訴代理人は左記のように述べた。本件様式の没収は経済関係罰則の整備に関する法律第四条によつてなされたものであるが、その没収は刑法に規定するものとなんら変りがなく、刑法第一九条で規定している没収の客体となるものはあくまで有体物に限られ、手形のような設権証券であればまだ有体物であると解する余地はあるかも解らないが、記名株式は譲渡、質入をなすについては株式の占有を必要とするが、株券はその発行前にすでに発生した株主権を表彰したものにすぎず、配当を受領するというような権利の行使については必ずしも株券の占有を必要としない、あくまでいわゆる相対的有価証券に過ぎないから、没収の対象となり得ないものである。そればかりではなく、判決の主文の記載からしても本件株券を没収した刑事判決は、あくまで、株券自体のみを没収したものであること明白で、株主たる権利までをも没収したものではない。たとえ、右刑事判決が株主である権利そのまでをも没収したものであるとしても、被控訴人主張のように、右刑事判決が確定すれば当然没収の効力が生ずると解するのは誤りで、没収が刑であるか保安処分であるかはしばらく別としても、その執行がなされて初めて没収の目的である株式の権利は被控訴人に帰属するのである。(刑事訴訟法第四九一条、第四九七条、刑法第三四条参照)本件の具体的場合についてみるに、その執行担当官である東京高等検察庁は昭和二十九年十二月七日までは日清紡績株式会社の株式についてはなんの処置をもとつていない。東京高等検察庁検事長は同日その職員に右株式の売却を命じたのに止つていたが、同月二十日右会社に名義書換を請求し、没収した株券については没収の旨明示し、新に東京高等検察庁検事長名義の新株券を発行させ、同月二十七日東京高等検察庁の関係書類にその旨の記載を了した。右十二月七日の命令は内部的の命令に過ぎないから、執行がなされたのは右十二月二十七日とみるのが妥当であるが、多少ゆずつても右十二月二十日なのである。そうであるから、右株式についてみれば、控訴人と被控訴人との関係でも、右十二月二十日又は十二月二十七日までは、控訴人が完全な権利者で、被控訴人は権利者ではない。従つて、右株式についての昭和二十九年度下半期分の配当金、及び右日清紡績株式会社の株式については同年十月一日株主総会の決議によつて同月三十日最終の株主名簿上の株主として無償交付された新株式は、控訴人が当然の権利として取得したのであるから、不当に利得したものではない。かりに以上の主張がいずれも理由ないとしても、配当金は、株主がその地位において会社に対して有する権能から生ずるもので、払込株金の使用の対価として受けるものでもないから、それは株式の法定果実である性質を全く有していないのである。新株の発行についても、その性質はこれと全く同じなのである。没収の目的は没収物と被告人との関係とを断つ必要があつてなすのであつて、その目的は、それ以上に拡張すべきではないのである。本件の場合でも、裁判所は収賄の目的が株式であるから、その没収不能なことを理由として収賄当時の時価によつて追徴すれば足りたのに、株券の没収を命じ、しかも東京高等検察庁は没収の手続を遅延させていたのである。それなのに、配当金及び新株式まで控訴人に請求するのは、控訴人にのみ不当の損失を強いることになつて不当である。かりに、控訴人に新株式を返還しなければならない義務があるとしても、株式を譲受けてその名義書換を了しない間の配当金及び新株式については、譲渡人が六割、譲受人が四割を取得するとの商慣習があり、右商慣習は公平の観念に基いているものであるから、本件のような没収の場合にも適用され、被控訴人の請求は六割の範囲内では失当である。なお、控訴人は、本件新株式を昭和三十年春一株金二百四十円で処分した。被控訴人主張の本件株式の昭和三十年三月及び四月の株式の高値、安値及び平均価額は認める。

立証として、被控訴代理人は、甲第一号証を提出し、当審での証人山本正義の証言を援用し、乙第一号証の成立を認めると述べた。控訴代理人は乙第一号証を提出し、甲第一号証の成立を認め、これを利益に援用すると述べた。

理由

左記の事実は、いずれも当事者間に争がない。控訴人は昭和二十九年五月二十九日東京高等裁判所から、経済関係罰則の整備に関する法律違反等被告事件について、懲役一年に処せられ、刑の執行については一年間猶予され、押収になつていた被控訴人主張の富士紡績株式会社株券一九三枚、東洋紡績株式会社株券一七〇枚、日清紡績株式会社株券二七六枚、を没収する旨の判決が言渡されたが、この判決は同年六月十三日に確定した。右諸株式の名義は訴外佐藤三七次外五名の名義になつていたが、全部が、控訴人が訴外日野原節三から収賄したもので、右名義人は控訴人から名義を使用されたにすぎず、株主としての届出印鑑及び株券は控訴人が占有して、株式配当金も控訴人が受領する等、実質的支配は控訴人に属していた。東京高等検察庁は同年十二月二十日上記三会社に対し株式名義書換の請求をなし、日清紡績株式会社は昭和三十年一月十一日、富士紡績株式会社は同月十二日、東洋紡績株式会社は同月二十一日、それぞれ上記株式について、東京高等検察庁会計事務管理者検事長花井忠名義で株主名簿の記載がすまされた。ところが、上記判決の確定後右株式の名義変更手続がなされるまでの間に、右三会社は昭和二十九年十月三十日現在の株主に対し、いずれも、源泉徴収税額一割五分を差し引き、一株について、日清紡績株式会社は金八円五十銭、富士紡績株式会社は金四円二十五銭、東洋紡績株式会社は金四円六十七銭五厘の割合による利益配当をなし、控訴人は源泉徴収税額金一割五分を差し引き合計金四万六千百十三円の配当を受領した。その外、日清紡績株式会社は昭和二十九年十月一日臨時株主総会で、被控訴人主張のように同月三十日当時の株主名簿上の株主に対し、一株について新株式一株の割合で無償で交付する旨の決議をなし、右決議に基いて、控訴人は新株式二千八百株の交付を受けた。

控訴人は、上記判決で没収されたのは紙片である株券自体にすぎなくて、株主権は没収されたものでないと主張するから、その点について判断する。控訴人が日野原節三から賄賂として収受したのは、たんなる紙片としての株券ではなく、利益配当請求権、残余財産請求権、及び場合によつては与えられる新株引受権等を包含している株主権といわれる株式であることはもちろんである。経済関係罰則の整備に関する法律第四条の精神は、控訴人が賄賂として収受した利益を控訴人に保有させることなく、すべてこれを国家に没収させる趣旨であつて、それは刑法第一九条による没収と全く同じ趣旨である。没収は、被告人が賄賂として収受したものそのものの権利を被告人から奪うことがその目的であるから、できる限り、そのもの自体を没収すべきである。没収の対象となるのは本来有体物であることは控訴人主張のとおりであり、株券は控訴人主張のように、いわゆる相対的有価証券ではあるが、株券が発行された場合には、株主権は株券に化体されていて、株券の授受によつて株主である権利が移転するものであつて、有体物と同様に物理的に管理可能な性質を有するのであるから、被控訴人主張のように、株主権を表彰する有価証券である株券は没収の客体となるものと解するを相当とする。従つて、上記判決で没収したのはたんなる紙片としての株券ではなく、株主権を表彰した株券であると解するを相当とする。

次に、上記三会社の株主である権利を没収した効力がいつ生じたかについて判断する。株主である権利を判決で没収した場合に、被控訴人はその判決が確定すれば当然没収の効力が生ずると主張するが、没収も株式についての権利の移転であるから、一方、株式の性質からして、株券の占有の移転があることを必要とし、他方、刑事訴訟法第四九〇条、第四九一条(旧刑事訴訟法第五五三条)の規定の趣旨からみれば、刑事訴訟法も没収の執行ということを認めているのであるから、株式に関しては、執行もないのに判決の確定によつて当然没収の効力が生ずるとはいえないと解するを相当とする。それで、本件の場合に、上記三会社の諸株式に対する没収の効力はいつ生じたのかというに、控訴人と被控訴人との間の関係のみをみれば、控訴人主張のように、名義書換を了したときと解する必要はなく、被控訴人が右諸株式の株券を適法に占有したときに、没収の効力が生じたと解するを相当とする。没収の執行は検察官によつてのみなされることは刑事訴訟法の規定からみて明なところであるが、本件の場合には、右諸株式の株券は全部押収されていたものであることは、上段で認定したところであるが、控訴人に対する上記刑事々件は旧刑事訴訟法によつて処理されていたので、上記判決の確定した昭和二十九年六月十三日当時には、東京高等検察庁検事が保管して占有していたことは、当審証人山本正義の証言及び成立に争のない乙第一号証によつて認めることができるから、没収の執行担当者である検察官が右諸株式を占有していたと解するを相当とし、右諸株式については、上記判決の確定した昭和二十九年六月十三日に没収の効力を生じたと解するを相当とする。もつとも、右乙第一号証の記載によれば、東京高等検察庁では昭和二十九年十二月七日になつて初めて没収の手続をとり、国庫に帰属させた旨の記載がなされているが、右は内部の事務的手続が遅れて同日なされたものと解することができるから、同号証の記載は上記認定判断の支障とはならない。

そうであるから、上段認定のように、控訴人が受領した上記三会社の昭和二十九年下期の配当金合計金四万六千百十三円と、日清紡績株式会社の新株式二千八百株は、いずれも、控訴人が昭和二十九年十月三十日現在で上記三会社の株主であること、同日当時日清紡績株式会社の株主であることを前提としているものであることは上段認定のとおりであり、上記認定のような株式の没収は、右株式を取得したことによる利得を一切奪う趣旨であることは、没収の性質上明であるから、右配当金及び日清紡績株式の新株式は、不当利得として、控訴人は被控訴人に返還する義務があるといわなければならない。控訴人は、配当金及び新株式は株式の法定利息ではないから返還する義務がないと主張するが、配当金と新株式は純然たる法定利息でないことは控訴人主張のとおりであるが、配当金と新株式とは没収された株式についての関係は、上記認定のとおりであるから、法定利息でないとの一事で不当利得にはならないとの控訴人の主張は理由がない。控訴人は、公平の観念からして、控訴人の被控訴人に返還しなければならない配当金と新株式は四割の範囲に止まると主張するが、控訴人主張のような商慣習はあくまで東京証券取引所の所属協会員が自己名義の株式を譲渡した場合に限つて存する紛争処理の方針に止まること、成立に争のない乙第一号証によつて明であるばかりではなく、上記説明のような没収の性質からすれば、本件のような場合には、右のような方針は準用する余地がないと解するを相当とする。よつて、この点に関する被控訴人の主張は、採用することができない。

控訴人が上記日清紡績株式会社の新株式二千八百株を昭和三十年春頃他に売却したことは当事者間に争がないから、控訴人の得た売却代金は、右新株式に代つて、被控訴人の損害との間には不当利得の関係が成立していると認めるを相当とするから、進んで、その金額について判断する。控訴人は一株金二百四十円と主張するが、その処分した日時と処分した金額については、なにも立証しないから、右新株式一株について、被控訴人主張のように、東京証券取引所の昭和三十年三月及び四月の平均値の平均である金二百七十一円五十六銭で処分したと推定するを相当とする。

よつて、控訴人は被控訴人に対し、上記配当金合計金四万六千百十三円、並びに右株式処分金合計の内金七十五万八千八百円(右平均価額の円未満を切り捨てて計算した)、右総計金八十万四千九百十三円、及びこれらに対する本件訴状送達の日の後で、右金七十五万八千八百円の請求をなした本件口頭弁論期日の翌日であること本件記録により明な、昭和三十二年三月二日から支払済まで年五分の金額を支払わなければならない。配当金四万六千百十三円に関する点については、被控訴人の請求を認容した原判決は相当で、本件控訴は理由がないが、控訴人は当審で、この点について損害金の請求を一部減縮したし、日清紡績株式会社の新株式二千八百株の引渡、及び執行不能の場合の請求は、被控訴人において、当審で訴を変更して取下げたから、当審では判断の必要がなくなつたが、当審での上記認定の株式の売却代金を不当利得としての請求は、上記認定のように正当であるから、この趣旨で原判決を変更して、被控訴人の右請求を認容して、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条を適用し、なお仮執行の宣言については同法第一九六条により、被控訴人が国であることを考慮し、無担保でなすを相当と認め、主文のように判決する。

(裁判官 柳川昌勝 村松俊夫 中村匡三)

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